2010年6月5日
「犯罪の都市空間』」
008 藤井誠二(ノンフィクションライター)× 鈴木隆之
犯罪を論じる時、作家は言葉でその時の状況や空間を表現するが、建築家は図式的に空間を表現することができる。
この違いは、「読者に想像を促し感じさせる」と「図式化することにより空間をリアルに伝える」ということだろう。
たとえば、「女子高生コンクリート詰め事件」では、私は文献や映像でしか内容や詳細を知らなかった。
だが今回、平面図を見ることにより、「何故あの場所で行われたのか」が理解できた。
一階では共同部と両親の個室、二階は全て子供たちの空間となっている。
このような住宅では子供たちの空間に侵入しづらく非行や犯罪が生まれやすくなるだろう。
建築家として犯罪という問題を解こうとすると、先ほど述べたような空間を造らないことがまず考えられる。
また都市を計画する時にはその地域を再認識し、そこに犯罪の要素の有無を見つけ出し、分析することが抑止に繋がるだろう。空間の二面性、善と悪にも変わることになりそうである場所、その問題を考察することが求められる。それこそが犯罪社会に対する建築の関わり方なのではないだろうか。(四回 宮本一彦)
2010年5月29日
「谷崎潤一郎『細雪』の家と『陰翳礼讃』」
007 中沢けい(小説家)× 鈴木隆之
谷崎潤一郎の「細雪」は非常に長い小説である。淡々とした日常が描かれ、とりたてて大きな事件が起こるわけではない。戦前を生きる四姉妹は生活の中に四季折々の美を取り入れることを楽しみながら個々を生きている。
一族というくくりから一人一人という個々へ解体されて行く緩やかな過程は、突如起こる大事件よりもよほどドラマチックで、その流れやうねりを読み解くことで初めて、この本の「空間的解釈」が可能になるのである。
私たちは、既に、個人で過ごすことが当たり前の「解体された時代」を生きている。
ここで忘れてはならないのが、家族から解体された個人は時代の流れと共に、別の団体を求めたり、発達した交通機関を利用したり、むしろ拡張しているということである。
個人を取り巻く空間は近代化に伴い大きく変化を遂げたのだ。
私たちは空間を設計する際に、家族の問題や社会情勢などの様々な要素を常に考察しなければならない。
そういった際に、何も社会学の本を読むだけがすべてではない。
むしろ学問的な書物よりも、こういった小説に描かれた内容は、読み手自身が身体的に捉えることができる。
そこには学問書では見つけることができない空間のヒントがつまっている。
それを見つけて自らの設計に生かすことで、私たちが生み出す空間はより豊かなものになるだろう。(四回 鎌田沙織)
2010年5月22日
「『コンクリートからひとへ』の裏側を撃て」
006 鈴木隆之
「『コンクリートから人へ』の裏側を撃て」から分かるように、今回のレクチャーでは、今までの建築家像とこれからのそれは全く違うものになる、という事から語られた。フリーターの急増、人口減少、老年人口割合の上昇などのデータから、いかに近代化が進められた頃の日本と現代の日本が違うかが示された。
辰野金吾の東京駅に始まり、満州首都の計画やナチスドイツの都市計画。
成長期にある社会が求めた建築は、これから縮小しようという日本の中では求められまい。
これから私たちが社会に出て表現活動を行っていくなら、独自の戦略をもっていかなければならない。
文化にも同じことが言える。大友克洋の「AKIRA」や村上隆の作品をさして、もはや文化も幻想の中でしか活動できず、反抗すべき社会もない中でのカウンターカルチャーは最早失われてしまった。
これは、建築と文学というテーマを持たれている鈴木先生だから言えることだと思うし、また芸術大学の建築学科にいる私が、これから社会に出ていく中で、ずっと考えていく出来事なのだろう。
表現を行うべき相手が何なのかということを常に考えることが必要なのだ。(4回 小野克也)
2010年5月8日
「Cities,Heritage,and Architecture」
004 三宅理一
三宅氏が示したのは主観的幸福度と貧困指数との乖離である。
マリ、ブータン、ロシア、中国(田舎)そして日本で、それぞれ家財を家の前に並べた写真を比較して明らかになるのは、日本の相対的過剰さだ。さらに、ヨーロッパの修道院等の写真から、それらの地域の具体的な状況が氏の経験とともに示された。
例えばイスラムとキリスト教の共存する修道院、砂漠のベッド、あるいはグンダグンドのノミとの格闘、そこから見えてくるのはA地点からB地点を移動するという文章に還元できないテクスチュアとしての「ヨーロッパ」であろう。
その中で氏が機能的観点から注目したのがモンゴルのパオである。氏はそれを「ギリギリのシステム」と形容する(モンゴルのパオは小一時間で組み立てることができる基礎を持たない住居である)。
それは「モロクハカナイ」という意味ではなく、全てが有機的に絡み合った社会の結節点としての「限界」だ。
そういった対象は「われわれの手持ちのパラメーターで測ることはできない」と氏は言う。それは過剰な情報を持った高解像度のシステムなのだろう。
氏が示した地域はそのような緊密なシステムを持つが故貧困指数に対する主観的幸福度が高い。
それに対し日本は最初に見たように相互に無関係なシステムが過剰に存在している社会といえる。
氏は最後にA地点やB地点と独立して考えるのではなくロジスティックスの観点からAからBを記述しなおす、これからはそういった視点が必要とされている、と指摘された。(山西弘起)
2010年5月1日
「From Russia With Love]
Rishat Mullagildin
ロシアと言えば、広場に建つネギ坊主状の屋根などユニークな形状の寺院などを思い浮かべるが、新しい建築に対してはあまり知られていない。
多くの時代の変化、革命を経て、それがロシアの街の建築にも大きく反映されている。
今回のレビューを受け、これからのロシアにとても大きな可能性を感じた。それは多くの変化を経てきた国ゆえの可能性だ。ロシアでは古い建物の要素を残しつつ、新しく建てるという方法が主流である。
歴史の保存という意味で様々な建築物が国の法律で守られている。
100%残す場合もあれば、ファサードだけ残したりする。新しい建築をつくる時にはデザインやコンセプト上、制限がかかるが、歴史の残る古い街を残そうとするのは評価できる。
リシャット氏の「建築はパフォーマンスとプレゼンテーションが大事」という言葉が印象的だった。
新しい場所で多くの経験をするために海外へ飛び立つことも重要だ。(四回 金延 尚美)